はじめに

はじめまして。

私、Karinのブログ『音楽と言葉とまぶたの裏の世界』へようこそ。

誰が読んでくださるかはわかりませんが、このページでは私の自己紹介をします。

 

 

でこぼこな道のり

1.登校拒否

子供時代の話をさせてください。

私は絵を描くのが好きな、恥ずかしがり屋で内弁慶な子供でした。

幼稚園からどこか周囲に馴染めない(テンポが遅いというか)、仲良しのグループ内でもちょっとばかり、ばかにされているような女の子でした。(ペアになるとき組んでもらえないとか、順番を後回しにされたりとか…。いじめにはあったことがないにせよ)

お母さんが大好きで、とにかく心配症で(唐突にリビングの床には針が落ちていないかという不安に支配されたりとか)、なんでもお母さんに頼る子供でした。

小学校の中学年で、初めて「言われたことをきちんとやる」という目立たない自分の長所(もちろん短所にもなります)を見ていてくれる、おなじく絵を描くのが得意な先生に出逢い、皆勤賞を果たしました。

ところが高学年になると、自分の長所より短所を教えてくれる先生に代わり、保たれていた脆い自尊心が崩れ、11歳の秋に登校拒否になりました。しかしながら、それは「きっかけ」でありすべての原因ではありません。

その後電車で1時間以上かけて都内のフリースクールに通うも、自由とは言え、「みんな」と過ごすこと自体があまり向かずに2年ほどでやめました。「みんな」といると自分の大人しさばかりが自分の中で際立ちましたし、周囲からも何故そんなに大人しいの?と否定されているように感じました。

元気なこと、明るいこと、楽しいことが正解、という在り方に、私が合わせられなかったのです。また、私にとっては、場所が変わったに過ぎなかったのです。

 

学校に行かなくなった当初、幼稚園の先生が自宅に訪問し、宗教の勧誘をしました。母が丁寧に断りました。私は、私や家族が不幸だと思われているのだろうか?となんとなく感じました。私の方も、宗教の勧誘は困っている人のところへやってくるものだという偏見があったのでしょう。また、ただ学校に行かないことを大ごとにされてゆくことに、何かしらの思いが(言葉にはならない)あったように感じます。それを言葉に当てはめるほどの、鮮明な気持ちではありませんでした。少しだけ胸が熱くなり、わくわくしていました。

 

先生が同級生からの手紙を届けてくれることがありました。私と文通をしたいと言ってくれる同級生もいました。嬉しく、不思議な思いがしました。学校の楽しさを綴ってくれた同級生には、私にはそうではなかったことを説明しました。その子が私の言葉をわかってくれたことを覚えています。

学校にいることが正しくて、自分にとっての苦痛から離れた私は一方的に「救われる立場」にされてしまっているように感じました。そういった構図が、自動的にできている気がしました。

 

また、その頃、テレビをつけると時折フリースクールで出逢った活動的なメンバーを見かけました。社会問題として登校拒否が扱われる番組で、芸能人やコメンテーターと対等に意見をぶつけ合う姿などを見ました。自分よりずっと大人びた言語と姿を持っていることに圧倒されました。

私は登校拒否についてのデリカシーのない言葉には傷つきましたが、多分、活動的なメンバーたちのアンチな意見や熱量にも、どこか違和感を感じて心に馴染みませんでした。私には彼らのような鮮明な言葉がまだ生まれていませんでしたが、その言葉を聞いていたときの気持ちは同意ではありませんでした。

 

実は中学校には行けたらいいなという淡い期待がありましたが、入学式で上履きを履くのが遅くなり、そのことについて上級生に早速目の前で陰口を言われて心が折れ、自分への期待を果たすことはありませんでした。

 

それからは同年代の子供たちに会うことはなくなりました。(ちなみにフリースクールには様々な年齢の子供がグループを分けられることなく好きなようにいました。)私にはその方が、落ち着きました。いつも馴染めなくて遅れをとっていたので。(少なくとも、私はそう感じていました。本当には違ったのかもしれません)

きっと、子供時代には「居場所を見つけられなかった」ということなのかもしれません。でも、裏を返せば、ちゃんと自分の違和感には忠実であったとも言える気がします。

 

コミュニティから離れてどれくらいの頃かは忘れてしまいました。中学生の年齢のあいだに強迫性障害という精神疾患を患います。私の場合は、特徴のある潔癖症のような形でその病気は現れました。また、とても太り、70㎏くらいにまでなりました。児童精神科にも通いました。しばらく昼夜逆転の生活をして、夜中に一人で音楽を聴き、絵を描き、朝方に父を見送る生活を続けました。

たくさん手を洗い、手は真っ白で粉がふいていました。何か月か何年かののち(忘れました)、児童精神科の先生についに思春期の悩みを打ち明けることにより、数年続いた強迫性障害はあっさりと「解決」しました。 

 

2.社会復帰

中学を卒業後(義務教育は卒業の扱いになりました)、焦燥感からファストフードのアルバイトで社会復帰をしました。初めてのアルバイトは怖すぎて初日に泣きました。でも、面接をしてくれた女性社員は、初めてのお給料で何を買いたいの?という質問に「妖精の本とか…」と答えた私を採用してくださいました。私は何かと守られているようでした。

そして翌年、都内のアニメーター科に入学しました。学校生活というものを再び手に入れたことが奇跡のようで、そちらに心が傾き浮かれがちだった私は、アニメーションの勉強よりも高校生活を経験するかのように振る舞い始めました。服装もミニスカートにルーズソックスでした。そうすると、年齢や熱意がばらばらのクラスメイトにも、勉強にも、追いついていくのが困難になり、悪目立ちしました。

けっきょくのところ人間関係でつまづき、後半はほとんど登校拒否になり、アニメーターになることも諦めました。

 

3.語学留学

卒業後は憧れの海外へ行くことにしました。登校拒否のあいだに繰り返し見ていたディズニー映画がきっかけでイギリスの児童文学に魅了されていた私は、イギリスに行くことを夢見ていました。けれども英語の勉強をしたことがなかったため、1か月間近所の先生にABCから習い、アルファベットもすべて言えるか危うい状態でニュージーランドへ短期の語学留学をしました。そのときの先生に無謀と言われましたが、実際に大変でした。(当たり前やろ)しかしながら英語はちょっとわかるようになりました。赤ちゃんとおなじスタートを切りました。

 

帰国後は英会話スクールに通い(親のお金)、アルバイトの掛け持ちでお金を貯めて(自分の努力)2年後に念願のイギリスへ1年間の語学留学をしました。それでもクラスがレベルアップするにつれて会話のトピックについていけず、また挫折感を味わうことになりました。また、素晴らしいサマータイムと長く険しい冬という極端な気候にも耐えることになりました。滞在期間が長くなると、いつでも楽しいということが難しくなってきました。

再び春が訪れると、目標だった一人旅(ロンドンのYHでお財布を盗まれて一度中断するも)でイングランドスコットランドの目的地(児童文学の舞台など)を訪ね、帰国しました。

 

4.再び精神疾患

人生のレールについてまったく理解していなかった私は、就職について帰国後のそのとき(既に21歳)初めて考えなければなりませんでした。自分はこのままでは働くことができないかもしれないことを知り、すぐに高卒認定試験を取得するためにサポート校に入学しました(親のお金…)。英語だけ100点をとれたささやかな栄光を胸に卒業。(生物が50点以下だったかもしれない)

しかしながら人生の方向性がわからず、不安から逃げるかのように今度は適応障害になりました。薬物治療を始め、副作用で朝目覚めるのが困難になりましたが、身体を鈍くしてでも不安を抑えないとじっとしていることも難しい日々が確かにありました。

その後、地元の公共施設のアルバイトで再び何とか社会復帰をしました。

 

5.京都移住のきっかけ

公共施設に勤めている頃始めた、他社のブログサービスで知り合った京都の小劇場演劇の役者さんがいました。半年ほどあとの冬、京都旅行を兼ねてその役者さんの舞台を見に行き、好きになりました(勘違いだったかもしれないけどさ)。年が明けると告白をしに再度京都を訪れ、春には京都に引っ越しました。100万円の貯金と段ボール6箱のみの引っ越しでした。その1年後に自分も演劇の世界に入り込み、恋人に振られました。(そんなに好きじゃなかったって言われた…)

 

2012年~2017年まで、年に1~3本のペースで演劇活動をしました。人と何かを生み出す、関わり合う、触れ合う、おなじ時間を共有する、など、10代でできなかったことと、人前に立つことをここで経験しました。仲間がいること、試練を分かち合うこと、表舞台に立つこと、そのような事柄は自分ではない人の人生のようにも感じました。楽しいこと、苦しいことが盛りだくさんでした。もともとあった哲学的な思考が開花し始めたのがこの頃です。「疑問」は持ってよかったのだと、「違和感」は大事にしてよかったのだと稽古の中で学びました。しかし、それらはあまり私の演技に反映されることがありませんでした。思考力と客観性は磨かれていき、また、私はジャッジされ続けており、自分はジャッジされることで学ぶべきだと思い込んでいました。

その頃は、ジャッジされることに慣れすぎて、自分が誰かにジャッジされないと不安で仕方がありませんでした。自分の価値を他人の中に置き続けていました。同時に、目の前のことが難しくなってくると、「壁を越えられない」思考の癖がまた現れました。

そのように自覚しつつ、やはり私はもう演劇という場所にいられない、と思い自分から離れました。

 

自活しているおかげで今度は精神疾患になる隙はありませんでしたが、しばしの絶望期間を過ごしました。

自分の魅力について思い巡らしました。

それは確かにありそうでした。

一人でできることを探しました。

2018年にピアノ弾き語りを始めて今に至ります。

ピアノは2018年に始めて、「弾ける」とは言えませんが、弾けるものもあります。

現在はとてもマイペースです。

 

6.自分のスピリットに近づいていく道のり

十代の頃から精神疾患を何度か経験しながら、その時々の欲求に身を委ねて飛び込んできました。特に、表現や芸術と、世界のいろんな地域、人々の暮らし、景色、に憧れを持ち続けています。

体験すること自体がいつも楽しくて、飛び込んでいくことが好きです。常に開けたい扉があるように感じます。なんでもやりたい、どこにでも行きたいという欲求と、一つのことを追求し、極めていくことへの憧れの板挟みになりながら、葛藤を抱えながら、順調に歩を進めています。

 

あまりにも葛藤が大きく、人生が順調ではないと感じられた頃、スピリチュアルの言語に出逢いました。それがとても自分には合っているのがわかりました。その後は、スピリチュアルの要素を日常に取り入れつつ、日々過ごすようになりました。

視界が変わり始めたのはつい最近です。

 

アファメーション

「ユーモアはつらつ」表現においても生活においても、私はユーモアを忘れません。いつでもまわりの人たちに元気で誠実で幸せな言葉を送ります。どんな状況においてもユーモアを忘れないことは、私の強さであり優しさだと認識しています。私はユーモア、元気、勇気、希望、愛、優しさ、などの目には見えないエネルギーを人々に届けることに喜びを感じます。

  1. 私は人とは違う経験をしてきました(誰もがそうであるように)。その経験から、世の中で一見ネガティブに思われている物事に、別の角度から光を当てることができます。光が当たらない場所を照らして周囲に知らせることができます。その行為に伴うものは、人々や人生の苦難への慈愛です。それは周囲と私自身とを同時に救うものであっていいのです。
  2. 私は誰もが自己受容し、自分と相手を愛する世界を望み、実際に見ていていいのです。
  3. 私は自分への愛を受け取ることを自分に許可します。私には必要なときにメッセージが届けられ、私はそれをメッセージとして受け取ることを楽しんでいます。天と地の両方に繋がるバランス感覚が私の中にはあります。しっかりと地上に足をつけて、自分の日々の出来事に意味を持たせること、宇宙からのメッセージを活かすことを許可して、より元気に生き生きとしていきます。
  4. 私はどんなときも人としての希望を忘れません。幸せがここにないように感じられるときは、“先取り”をしていつでも幸せでいてもいいのです。ただ、未来に振り回されることはありません。常に今を信頼しています。
  5. やりたいことを見失ったときは、それでも諦めずに探し続けます。焦らずに自分の道を愛して、進んでいる今この時を何よりも大切に過ごします。
  6. 全てはよりよくなるために起こっているのだと解釈しています。失敗と思われることも、悲しみ、苦しみ、悔しさ、全てが私の学びのプロセスで、学びと成長が順調に進んでいることを意味します。そして、現在の私が最高最善の存在であるのだと信頼しています。
  7. 私は自分の美を忘れません。私は自分の内面と外面を食事と運動により整えます。日々の小さな心がけと、その積み重ねで美しくなります。優しさと受容は私を誰よりも美しくします。私は今この時の自分の身体を愛し、女性であることを心から楽しんでいます。それが世の中で愛される姿と違っても、私はいつも自分の頑張りを知っていて、美しくありたいという純粋な気持ちを持つことに誇りを持っています。
  8. 私は自分の身体と地球の調和を思いやることを心がけ、そのために自分の身体に親切に行動します。過度な加工食品の摂取をやめ、形のわかるものを選び、食生活を改善します。同時に、食べたいときに好きなものを食べる喜びを持つことを許可します。それには本当に食べたいか?と確認をします。より自分を愛するために、形を整え、気力と体力を整えるための運動を取り入れます。
  9. 私は自分の日々と、日々のあらゆる活動をとおして、私を必要とする人たちに出逢っていくことができます。とても長い間一人で頑張ってきました。暗い時間もたくさんありました。それらはこれから私が私を必要とする人々に出逢っていくための時間でした。孤独で理解されない経験もたくさんしました。誤解を受けたり、的外れな親切や救済を提供されてきました。そういった経験は、今後はなくなります。
  10. 私は自分が思っていたよりもずっと大きな素晴らしい人間に成長することを望み、行動していくことを許可します。また、私がそのようにできることを知っています。変化していくことを恐れません。困難なことを何度も乗り越えてきました。私は人生のあらゆることをゲームのように楽しんでクリアしていけることを知っています。自分の力で這い上がっていくことを、子供の遊びのように面白がっていけることを知っています。
  11. 私は自分から明るく声をかけます。相手がどう返事をするかは問題としていません。私は自分自身が気持ちがいいと感じることを信じて行動します。
  12. 私は心優しく、遠慮はしません。私はどこまでも魅力的になり、まわりからの注目を集めてもかまいません。のびやかに、自由に自己表現をすることを許可しています。愛されることを許可しています。それは、我が強くなることとは別のことです。私が望んでいるのは調和です。不協和音が起こったときは、自分を見直すことを忘れません。いつでも柔軟に、自己を顧みて改善していくことを積み重ねます。自分が磨かれていくことに、学んで成長していくことに楽しみと喜びを感じています。
  13. 私はお金というエネルギーを自分で循環させていくことを許可します。愛、勇気、元気、励ましのように、循環、交換をして、精神的に、物質的により豊かになっていくことができると理解し、自分に許可しています。与えてよいこと、受け取ってよいこと。そこには喜びが伴うこと。よい循環の中で、誰かを犠牲にしたり、誰かの犠牲になったり、苦しみが生まれることはありません。私と世界が、風が通るように健やかに循環していくエネルギーの中に存在していると理解しています。
  14. 私は日々自分との約束を果たします。どんなに小さくて簡単なことであっても、私は日々自分との約束を果たし、セルフイメージを高め、より高い次元に上昇していくことを楽しみとしています。
  15. 私はいつでも自分が本当に望んでいることを知っています。望んでいるパートナーシップ、望んでいる仕事、望んでいる収入、望んでいる場所、望んでいる状態、望んでいる感情など、私は自分が望んだ状態になれることを知っています。
  16. 私は不要なブロックに、これまでの学びの感謝をして日々手放していきます。十分経験をした孤独、悲しみ、悔しさ、嫉妬、全ての苦痛に感謝をして手放します。ありがとう。
  17. これからは、自分への愛と望みのための、まわりの人たちへの愛のための人生にします。私は祈り続けることを自分の一部にします。そのことが私を整えてくれることを知っています。私からはいつも愛と感謝の言葉が泉のようにあふれてきます。全ては私に気づかせてくれるために起こりました。全ては私がこの地球で体験したかったことです。私は自分に起こることを受容し、愛しています。私の愛は、どんなものもそれより大きく深い光の輝きで包み込みます。全てのことは、私がその光に戻るまでの遊びです。私は光の存在です。自分で選んできたことに感謝して、体験してきたことに感謝します。(2020)

 

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