音楽と言葉とまぶたの裏の世界 

Karin's Wonderlandのブログ

心と身体への疑問と試み。快適な身体に近づくまで。

おはよう、きらきらの金曜日。

あ、雨かな?

 

2020年6月25日のダイアリ。

 

今日はOMGな日でした。

何がというと、体調ががくんと、グラフの急降下みたいに落ちました(笑)

自分でもびっくり〜…。

これには理由があります。

この一週間、向精神薬セロクエルジェネリックでクエチアピンという薬)を飲まないでどこまでいけるかチャレンジしていたんですけど、あ、そろそろかな、という気がして(身体の凝りとか、重みとか痛みで)昨夜は飲んだのです。

そうしたら今朝目覚めから身体が重たくて、一歩歩くのも大変でした。

もしかしたら、在宅勤務だったから、身体が油断していたのかもしれない。

一週間ぶりに飲んだためか、一週間飲まなかった積み重ねがたたってか、両方か、ちょっとわかりかねますが。

 

最近は食生活を見直したり、ストレッチをしたり、マッサージやツボ押しをして前よりずっと健康的に過ごしていたのでちょっと残念なことをしたなと思いました。

あと、もしかしたら寝不足だったかな、こっちが原因かな、と思います。

かなり、頭の中がハイパーアクティブで騒ぎ立てていて、行動もあれもこれもとやっていました。

薬のことを抜きにしても、身体が疲れていたとも思います。

 

発達障害の方のブログで、月に三日は本当に本当になんにもしない日をつくる、というのを読んでから、何もしない日に罪悪感を持たないように、今日は何もしないが私のすること(?)だよと考えるようにしてきました。

がくんってくるとやっぱり自分が落ち込みますからね。

またやってしまったな〜と思って。

なんとかPCを開いたりメールを読んだりしましたが、どうにも動けなかったです。

 

薬、飲まない方に向かいたいな、と久しぶりに思えたからやってみました。(薬の調整は私自身に任されているのです)

気持ちの持ち方で身体をどこまで改善?できるかというのは興味があります。

私はどんな思い込みをしているんだろうとかね。

身体にも、自分で限界をつくっている可能性があり。

そんなんじゃ治らないものを背負ったり、持って生まれたりすることもあるわけだけど。

私はその境目がよくわかりません。

歩けない人に、歩けないことはあなたのせいだ、とは言わないように。

でも、まずは自分に病気や障害の名付けをする、ということをやめてみました。

その種類のカテゴライズをやめたのです。

もしそれがあるとき与えられてしまったとしても、固定されないものであれば尚更。

それは一理あることであり、しかしその名前がなくとも私は他者と分かり合え、対等に許し合えて、自分と付き合っていけるんだ、もしくは、自分を超えていけるはずなんだ、とあるとき思ったのです。(なんかとてもいい記事を読んだ日があって)

でも発達障害とかはグラデーションの問題です。

元々が曖昧だから、患者の方も曖昧なことを言われることがあるわけです。

私は、周囲にそう伝えることでその人の日々がよりよくなるならそう選択すればいいと思っています。

 

で、私はこの薬なくせやしないかな、とね。

可動域を頭で知ったら、思ってたより身体が曲がったりすることはあると思うので。

私はこれくらいしかエネルギーがない、というのも私自身への思い込みかもしれないです。

まあ、今日ぜんっぜん動かなかったですけど(笑)

そして肝心なことは、身体が動かないだけで気持ちがひゅるる〜と元気がなくなる、ということです。

そういう身体と付き合うことの険しさを、時々垣間見るのです。

頭で知ることと、心でわかることと、身体で実感することと。

んー、今日も研究の一日、ってことにしてみようかな。

今夜は薬を飲むか、今夜も私は選ばなければならないのです。

どちらにしようかな?

 

なんかまたまとまりがないけど、伝わるかな。

それではまた〜。