音楽と言葉とまぶたの裏の世界 

Karin's Wonderlandのブログ

龍がいた帰り道

帰り道に川沿いをゆくと、途中川辺に降りる階段の木々の隙間から、夕日と川面に反射した光できらきらとした景色を見ました。

私は自転車をとめて眺めました。

写真に撮ろうかな、とスマートフォンを取り出して顔を上げると、その一瞬のあいだに雲が夕日を覆っていました。

わー、なんてこと!

私、よくあるんだ。

そういうとき私はそんなところにおさめてはいけないよ、そんなことをしてもとらえられないよ、と言われている気がしています。

写真を撮るという行為の、私の一番奥にある動機は、この世への執着です。

別れを恐れてせめて保存しておくために。

 

私は子供の頃、父が車を買い替えるときにその車との別れを惜しんで、写真をフィルム一本分以上は撮りました。(座席とかの…笑)

もうこの車に触ることも見ることもないのだと思って泣きました。

なんのこっちゃ!ですよね(笑)

写真とは、移りゆくもの、消え去るものを残しておける便利なもの。

でも、そこにおさめてもやっぱり過ぎていき、何も私のものではないのだと思い知らされるのです。

自分の執着心に気がついたのは、多分もっと後になってからだったのかなぁと思いますが、思い出せません。

 

一瞬前のきらめきを逃したとき、その一連のいつもの考えを巡らせて、雲は動かないかな、ともう一度空を見ました。

なんとも言えない、予測できないな私には。

そのとき、私は龍を思い出しました。

最近よく龍の話を聞くのでね。

龍には物事を動かす力がある。

雲も動かせる。

あ、私、妙音堂に行きたいんだった!

とそこで思い出したのです。

今日の帰り道は妙音堂へ。

そう思い出して、今龍がここにいるのかな?と思いました。

あの雲を動かしたのは龍なのかな?

もしかして、思い出させてくれたのかな?!

今から行くね、と。

 

私はその小さな神社が気に入っています。

芸能上達のご利益もあったはずです。

さて久しぶりにここにお詣りに来ましたね。

変わらないな。

あじさいが咲いていました。(買ってきたもののようでしたが)

花びらのグラデーションが美しいのをしばらく見ました。

 

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私は見えないものを感じることを思い出したね。

そう思いながら、夕方の光と影に包まれた神社の一角一角を、確かめるように順番に見ました。

すっかり忘れてしまっていた頃もあったのに、今はそれが強まっているように感じられました。

忘れてしまっていた頃は、「思考」が過ぎたけれども大切な通過点として思い出します。

そのときを境に、変わったことがいくつもあったためです。

 

今日の私には、見えないものの存在が本当かどうかということも確かに大きな関心事ではあるけれど、それを信じたり感じられることで、自分がどんなふうに変わっていくのかな、ということを楽しめることが大事に感じられました。

像や絵になって形どられると、そんなものいるわけない、という気がしますが、エネルギーの質やタイプなんだと思うと、そうか、という気持ちになります。(私はね)

人がエネルギーに与えた姿や名前というのは、大変魅力的ですね。

龍の絵(雲龍図…見に行きたい…!)も好きだし、妖精の絵も好きだし…。

不思議な世界が好きであることを、少し秘密にしているけど(そしてここで一般公開している)、秘密も含めてちょっと楽しいかもしれないね。 

 

それでは、おやすみなさい。