音楽と言葉とまぶたの裏の世界 

Karin's Wonderlandのブログ

思想を剥く

おはよう土曜日。

晴れていて子供たちの声が聞こえてきます。

梅雨の晴れ間なんだしどこか行きたいけど、家でやりたいこともいつもたくさんあって。

焦る、という身体をなるべく作らないように配慮します。

焦りやすいから。

急ぐ、のとは違う。

 

少し前の記事に、世界にはいろんな言語があると思う、と書きました。

どんな言語で表現されていると受け入れやすいか、と書いたのですが、つまりそれって自分はどの言語をつかって世界を見たいか、ということで、どの言語をつかって世界にアプローチしたいか、ということです。

どうやって世界にアプローチするかということは、つまりどうやって自分自身にアプローチするかでもあって。

受け止め、受け入れていくことでもあり、私から働きかけることでもあるんだな、とあの後に思いました。

私はその言語を複数持っているのがいい。

言語や思想を俯瞰しているのかもしれないし、逃げ道をつくっていることでもあるかもしれない。

元気になってきたので、気持ちの「裏側」を細かく見に行こうと思っています。

本当は、自分にとって的確な言葉で「問いかけて」くれる人がいればいいんですが。

その人に出逢いにいくのも面白そうですが。

でも、実際には「面白い」よりは「しんどい」ことだとわかります。

経験済みですもの。

今、時間とお金がかかることをいくつかしたい。

学び、ワーク的なこと。

 

昨日は久しぶりに限りあるものの中でどうしたらそれらをすることが可能か、という計算をしました。

のびのびと、アンリミテッドな身体感覚を育んでいたので、あっという間に頭が疲れた気がしました。

でも以前は、この疲れることを、疲れていると気づかずに常にそうしていたようにも思います。

どっちがいいってものではなくて、限りないところに繋がっていける自分と、限りある中に道筋を見いだせる自分でありたいのです。

私は計算が苦手なので、紙に事実でわかる事項だけ書いて、昨夜は「やってみないとわからない」という、頼りなくもあり頼もしくもある答えを導きました。

きっとある人にとってはその答えの精度は低くて、でも私は順調だ、と思いました。

 

スピリチュアルについて見ていると、時々結果が早い方がいいのかな?とか、幸せになることを「煽られている」気持ちになる場合もありました。

きっとそういう意味じゃないです。

ただ、少しの言葉選びや言葉を発する強さで、そんなふうに感じました。

例えば、そんなときの自分を詳しく見たい。

やりたい、知りたい、と感じることが多いので、望みをすっきりさせたいのです。

それまでは赴くままに、それからも多分赴くままに、何か鳴ってる方へ私は駆けていくんですけど。

 

なんかよくわからない文章になったかな。

今日も何かしらを知りたいです。

私は旅の準備が万端で、順調に探究してるな。

はは。

 

それじゃ、ごきげんよう~。