音楽と言葉とまぶたの裏の世界 

Karin's Wonderlandのブログ

幸福度という言葉から、感じてみること

おはよう世界。

土曜日の朝、大好き。

しかし、動けません。

ごろんとしながら書いています。


ビールを飲むに相応しい金曜日でした。

プレートにのせるおかずを一口コンロとレンジの同時進行で手軽につくり、買ってきた玄米にわくわくとし、ご機嫌でした。

このように、非常に地味な金曜日になんとも思わないのは、この時節柄。

ふとそれを思い出して、ご機嫌から我に返りました。

そうや。

私の大人しい毎日がたまたま役に立っているけれど。

きっと一生に一度や。

覚えとこうぜ。


そこそこ忙しい一週間でした。

ほとんど自分の仕事に手がつけられなくて、ああ来週たいへんやーということをぼんやり週末にも思い出しつつ過ごすのやろか。

しかし、誰かの役に立てるのならそれが仕事かな。

そして私はどう役に立ちたいのだろう?

それによって立ち回り方を修正していけるのかもしれない。

頑なに引き受けたくない心境に陥っていたカタイところが、この期間を経て解きほぐされた、とも感じました。

賢くはないし、社会の基準を満たしていないとは思うけれど、そんな自分がおかしいと思う気持ちを忘れていたりします。


若い頃、マジョリティとマイノリティという双子がいつも私の頭の中に住んでいました。

あなたはいつも二元論の損な方を引き受けるんだ、とも言われている気がしました。

ザ・健常者という実態のない基準があったのかもしれない。


基準を満たしているかではなく、最善を尽くせるかで考える。

自分の最善を行っているとき、周りの人はとても助けてくれます。

そして私もまた、そのおかげで何かを助けることができます。

やったね!


最初はちょっとその言葉を意識して、行けるところまで、「幸福度」で日々を感じてみています。

私のことだから、そのうち忘れているかもしれませんけどね。(そしてまた心ゆくまでメンヘラを味わい尽くしているかもしれない…超いやー)

また次のステップにバトンタッチされてゆくかもしれないけど。

行動、思想や、気づく感覚、興味、など、移り変わりがあって、でも自分の歩んでいる大切なプロセスであるな、と、いつも思います。


先日の現代社会の動画で、適職についてを見聞きし、自分にとってこのバランスがいいところを選択すると「幸福度」が高くなりますよ、という表があって。

その項目は細かく書きませんけど。

あと、「意義」で自分の仕事を捉えていますか、言えますか、と。

そうだ!

それを考えたら、どんな小さなことでもわくわくするね。

毎日目の前のことしか見えていなかったら、そこにどんな役割があるか考えた方が楽しく、周りとの繋がりが、体系が見えて来る。(はず)


幸福度で考えると、例えば、ものすごいお金持ちとの差ってなくなるんじゃないか。

っていうか、そんなの当たり前だね。

自分のやりたいことをやっている人や、やっていることを好きになってゆく人や、幸せな人は、言語化しなくてもそうやって生きているところがあるのではないか。

差があるのは、生活の便利さとかそういうもので。

時々実態のないモデルや、実態のない全体的な何かがジャッジをくだすものを、勝手に信じているけど。

幸福度は、システムに管理されない領域だ。

ちょっとあえて、覚えているあいだ「幸福度」を言葉ごと大切にしてみようと思った。

キャンペーン期間のようだね。


なんか、そう思った。

あとは、今はなんか、創るより「知りたい」。

あと、今朝めっちゃ疲れてるから、この疲れでまた目の前しか見えなくなり、私の愛するすべてを忘れないように。

守ってあげる〜。

 

丁寧に作り、丁寧に盛り付けた日の食卓!

(できるとき、やりたいときだけね。)

 

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それでは〜。