音楽と言葉とまぶたの裏の世界 

Karin's Wonderlandのブログ

何がどうあれ、灯していたい明かり

こんにちは。

 

初夏になり、梅雨も近づく頃にまた出勤日が増えていきます。

お店なども始まる知らせと、注意を払いながらも生活を取り戻すために、周りが動いていく、準備の音が聞こえてきそうです。

私は、動き出していく周囲の音を聞きながら、そのなかでどれだけ自分のペースを保っていけるだろうか。

昨日はそんなことを思い、少しだけ不安でした。

私はこの期間に気づいたことやできていることがたくさんあって、良かったなと思っています。

この、冷静さのなかにあたたかく燃やせている炎を、消してしまわないようにしたいのです。

特に、疲労によって。

心を占めるものが、私が好きなものであってほしい。

これからも。

 

いつの間にか寂しさも去りました。

私が寂しさを感じていたいあいだは、寂しさは心でぴたりと寄り添ってくれています。

でも、「こうしよう」と決めたあとは、別れることもできるのです。

円満にね。

 

晴れた日の散歩道をゆけば、花が健やかに揺れていました。

あまり、散歩に出ることに罪の意識を持つこともなくなりました。

お店にゆくことは、罪以前に、私はまだ少し躊躇があるかもしれません。

とにかく、周りがどうあれ、おまえはどう思い、何がしたいか、と。

冷静であり、同時にあたたかく健やかで晴れやかなのは、初めてかもしれないくらいのことで、でも、この心の温度が私には心地がよいのです。

そうだな、心の温度やね。

ぬるま湯くらいかな(笑)

なんかその言い方だといややなぁ…。

 

ストレッチもまた、心身にとって素晴らしいです。

私には快楽。

食べるものも、時間があると(通勤の分と、昼に家にいることで)すべて自炊でき、バランスが保たれます。

普段は、ちょっと無理かな〜。

時々、思い出すと微笑みます。

アパートの階段を上がるときとか、ふとした瞬間、いつでもいいのです。

微笑むことを思い出したときに。

自分が元気なことを、ちょっと意識する、確かめるために。

元気なのに、それを忘れてしまっては困るから。

 

一人でもやりたいことがたくさんあります。

たまに誰かと喋りたいけれども。

そのうち、誰かとユーモアと経験と知性を分かち合う会話をしたいです。

それは、日頃からの願いです。

実際には数週間誰からも連絡はありません。

なんかちょっと笑えるけど、正直なところ、普段からあまりそれを問題に感じる私ではありません。

はは。

メールが来なくても、私ここにいるしな〜。

16才くらいの頃、メールの数が自分の価値を支えているような瞬間がありましたけど、不登校と病気から別の世界(アルバイトと通学)ににょきっと出た頃だったので、まあ仕方がないよね。

そこには未知の領域で自分を試したい気持ちがあったのだから。

でも今も、ブログを書いたりすることに、救われているところがあるのですよね。

外と内との境目の窓のような。

 

数日前から、PCは私の曲を奏でてくれています。

音符の長さへの勘が少しだけ磨かれた。

歌詞の入力が前よりずいぶん速くなった。

私より上手やなぁ。

抑揚とかないけど、正確だね。

全曲、楽譜を作りたいなぁ。

 

ふと、私は何がしたいのかね、と。

今のように、一人で音楽を作っているときと、ライブに向かってるときとどちらが幸せかと言われたら、今やなぁ。(!!)

私はプレイヤーじゃないのかもしれん。

練習、すぐ疲れちゃうし。

ライブの予定があると、作ることが後回しになって、役者のときとおなじもやもやが生まれます。

でも、作って自分でやらなかったらどうする?と。

眠ったままだ。

かと言って、誰かにやってほしいとも思わず、やっぱり自分でやりたいのかな。

なんとなく想像してみて、正当な歌い方で誰かが私の歌を歌ったら、何だか悲しくなりそうです。

ちゃうねん!!と。

なんか難しいですね。

でも、幸せなことを考えています。

とっても。

 

では、また!