音楽と言葉とまぶたの裏の世界 

Karin's Wonderlandのブログ

十分な豊かさに加えて

今日は病院をキャンセルしようと思ったけれど、電話で処方箋の対応をしてくださいました。

薬局での薬の用意も、この状況に合わせて臨機応変な対応をしてくださり。

窓口の人と、看護師さんと、先生とそれぞれに話しました。

看護師さんは私の名前を聞いて、ああ、と知っているふうでした。

それでこちらも多分、あの人かな?と思い当たる人がいます。

一人、できる人って感じの看護師さんがいるのです。

つまり、何かと覚えていてくれる人がいるのです。

それから、その看護師さんと話しているときが一番自分が患者である、という心地がしました。

何故かな?

口調や態度が看護師という役のように感じるのでしょうか。

使命感すら感じたかもしれません。(たかだか電話での会話であっても)

何だか面白かったのです。

演劇的だな、と。

相手の対応でこちらの立ち場が決められていき、場面がそこに作り上げられていくように思いました。

私はすんなりと患者の役になり、でも最後に看護師さんもお気をつけて、と言葉を添えました。

なんとなく、その言葉だけはおなじ地平に立って言いました。

半ば強引に私はいかにも患者という患者になった気がしましたけれども、とても思いやりある対応をしていただき感謝しました。

私はキャンセルができるけれど、そこで働いている人たちがいる、という電話の向こうの現実を感じて。

それから先生とも少し話ができてよかった、と思いました。

いつもの世間話の短いバージョンをして(でもこの状況が辛いと素直に打ち明けて)、電話を切りました。

 

朝はたいてい素晴らしいのに、このちいさな部屋に一人でいると、夜頃には心身の状態がとても変わっていることがあります。

夜が好きな日もある。

けれども、一日部屋にいた日の夜は、あまりよくないかもしれない。

ふと何のためにか部屋で私がいるスポットを数えました。

ざっと4箇所あります。

まずは台所、それから座椅子、それから布団の上、そしてピアノの椅子。

ゆったり座れる椅子と、たっぷり使える机が私の理想です。(母がイラストを描くために持っていた机と椅子がまさにそれです。)

それから障害物にじゃまされずその日の服装を確認できる場所に姿見を置けると素晴らしい。

それから…というのはいくらでもあるからやめておきましょう。

 

正直なところ、そうは言っても私には豊かさは十分にあるのです。

お金、というと少し違うかもしれないけれど、まあ誰にも借りることなく生活しているし、なんというか心の中の実感として。

ただ、私はもっともっと楽になりたいのだ!というのが、正直な最近の気づきなのだ!と気づきに気づきを重ねてゆきます。

気づくときはいつも他人事のようです。

前に進んでいるのかなぁ。

さっぱりわからない日もあります。

 

f:id:miss_quiet:20200424220216j:image

 

f:id:miss_quiet:20200424220332j:image

 

なんとなく、陽だまりの植物を懐かしく思って。

つい先日足元に見かけた花。