音楽と言葉とまぶたの裏の世界 

Karin's Wonderlandのブログ

人間関係を学んでゆく

昨日家賃を払いにいって、大家さんとまたお話をしました。

ウイルスについて、大家さんは悪気はもちろんないけれど、危機感が自分とは違うのだな、というのが理解できました。

毎日いる環境も違うし、つまり情報の伝わり方や質や、性格も違うし、仕方がないところはあるけれど。

あるにせよ、私はいつも悪い事態を想定しておく方だから(その想像力がかなりあります)、ちょっと心配な気持ちでいました。

なので、私は咳喘息もあって怖いのです、ということと、廊下の窓を開けておきますね、ということと、トイレには石けんを置かせてもらいました、と今実施していることを伝えました。

ちょっとしたことだけど、意図が伝わらないともっとすれ違うかもしれないから、そうしたら疲れてしまうかもしれないと思って。

自分が怖いと思うことは、遠慮なく伝える。

年齢に関係なく身体には事情があるし、何がより重要か、気になる事柄にも差がある。

 

多分、ウイルスの危険性ではなく、私の恐怖心が伝わったのかなと思いました。

大家さんは思いついたようにぱっと部屋に戻って、自分が作ったマスクを持ってきてくれました。

かわいい柄のマスクでした。

そんなつもりじゃなかったけど、なんかいろいろもらってしまいました。

心配をかけるつもりはなかったけど…ありがとう、大家さん、と今度は大家さんが優しいのが十分に伝わりました。

 

どんな状況であれ、意識とか行動を揃えるのは困難なんだな、と改めて思いました。

もちろんですが私が正解ではありません。

ただ、こうしたいという具体的な事項があるだけです。

私が気にしていないことも、他の人には欠陥かもしれません。

私が気にしすぎていることが、他の人にはストレスかもしれません。

でも気持ちはせめて共有できる部分があるのだな、と思い出しました。

人とそばで繋がれない、けれどもそのとき、私から大家さんに、大家さんから私に伝わった気持ちがありました。

また、人との暮らしの中で、自分はこうしたいのだと、最小限の自分の行動を守るために少しだけ学んだとも感じました。

いつも相手に譲りがちだから(私にはその方が簡単だったのです)、今度は自分がこうするということを守るために、どう伝えればいいか。

いろいろな人がいる中でやっていくことを、ほかの正解を知りながら、学ぶときなのかもしれません。

 

仕事は相変わらず笑顔をどこかに置いてきた私でした。

機嫌は良くも悪くもありません。

ただ普通にしていたいのです。

てきぱきと、その日できることをぱっぱっと片付けてゆきます。

私は自分が自由でいても愛されたいのです。

いつも微笑んで、誰かより下にいる私じゃなくても愛されたい。

人を気持ちよくしてあげられなくても、私が自然でいることをよしとしたい、自分が。

笑顔をあげないとケチなのかな?とも思います。

でも、自然にできるときがまた来るのかな。

消耗していく感覚じゃなく、またちゃんと湧いてくるエネルギーの源があるのだと待ちます。

それまでに許されなければ、また旅に出なくてはいけないのかもな。

人は、笑顔の人が好きですね。

今までの私は、みんなのこと安心させてあげる力を持っていたんだな。

と思いました。

これからは、私にはどんなことができるんだろうか?

 

今、前よりよくない私に見えるかもしれないけど、自分の中では一概にそうと言えない今を、なんとかやっています。

決してすっきり晴れやかではないけれど、いつも白か黒かではない自分や状況も関係性も乗り越えていきたい、と、疲弊しながらも頼もしい自分も隅にいるのです。