苦しみを奏でてもメロディになる

いつもと違う生活リズムだ。

なんとなく落ち着かない。

どちらにしろ落ち着くわけもないけれど。

 

家もなかなか、プライベートがあるようなないような。

大家さんは、あまりこの事態を気にしていないのかな、と思う出来事が続き、自分の気持ちがまた隠せなくて、色々なことがおり混ざってげんなりと疲れてしまう。

頑張って清潔に管理しているこの部屋が脅かされたら、私はどこへ行けばいいのだろうかと心が曇った。

私の権利はどこまであるのだろうか。

普段はいかにも自分のものであるようで、いざというときにはか弱いものだな、と感じる。

 

この事態において、これまで築き上げてきたものが崩れてしまうことがあるかもしれない。

親しんだライブハウスや居酒屋も閉店したことを耳にする。(何とかやっているところもある。何とかだ)

苦しいなと感じる。

 

何かが壊れることが、新しいスタートへの道のりであることを願う。

私は破壊は嫌いではない。

その向こう側があるものだと信じている。

でも今は動けないのだ。

かと言って将来を見据える目を私は持っていない。

それがあればなおよし。

それができる人はビジョナリーで、私はドリーマーというところだ。

 

今夜も在宅ワークはきっちり定時で切り上げ、あまり達成感のない業務報告をして、ご飯を食べ、ピアノを弾いた。

私はその境目を曖昧にして引き受けるのは嫌いだからパソコンはぴったり閉めてしまう。

(そもそもスペースはものを移動しつつその都度確保しなくてはならない。)

 

最近形になってきた曲のコードがもっとよくならないかと考えた。

音楽理論についてはおなじようなところを何度か巡ったけれども、自分の作品に思う通りに応用とかできるレベルではない。

役者の先輩が、わかるのとできるのは違う、と最近の投稿に綴っていた。

まさに。

演劇とかピアノとかやっているとそれがよくわかって素晴らしい。

そしてわかっていてもできていない。

できていないことを知っているだけ素晴らしいと思おうか…。

 

Twitterでうたつなぎというのが私のところにもまわってきた。

バンドをやってた友達がつないでくれた。

楽しそやな、と他人事にしていたところに連絡をくれてとても嬉しかった。

イヤホンを外して無理やり省エネで奏でた。

ごめんなさい。

でも楽しかった。

私もバトンを渡した。

友達に会いたいなと思った。

ライブハウスにみんないる夜のこととかを思い出した。

みんなでビール飲みたいな。

 

さ、寝よう。