音楽と言葉とまぶたの裏の世界 

Karin's Wonderlandのブログ

木陰の女

いろいろと落ち込む。

誠実であろうとつとめる。

自分の思いつく誠実さに過ぎないが。

それは、人によって異なる。

でも、自分らしくある必要がない場所だってあるのだ、と薄々感じた。

ひらめくように今さら、あなた何歳ですかとも聞こえてきそうだ。

こうやっていくらかの人々は、早い段階で見切りをつけたり「大人」と呼ばれる段階に進んでいくのだろうか。

いやな言い方をすれば、私は、役には立つけれど出しゃばらず、見た目に合うように従順であった方が楽でいられるのかもしれないと悟った。

意外だけど、もがいてきて今日はそこにたどり着いた。

だからと言って、まだ先があるだろうし、私は誰かのものになり下がるわけではないし。

それなのに、何だか怒りが込み上げてきて、心が不穏だ。

いつもなら、私の世界はもっといくつかに分散されている。

今は、二つしかない。

 

昼は木陰でピアノの音楽を聴いた。

今日はお弁当を忘れていったけれど、買わずに差し入れの焼き菓子を食べて済ませた。

落ち込みでそれほど食欲もなかったし、買い物をしたくなかった。

自分にも落ち度があることを思い出していた。

いやなことをされるよりもいやな事実だなと思った。

私は悲劇的に木陰に佇んでいてはいけないが、悲しく、それを言う人が思い当たらなかった。

受け止めがちないやなことは、一つ一つはちりのようなもので、もっと容易く流れていけばよかった。

声に、言葉にするのが容易ければよかったけれども。

それでなお、聞き飽きた改善策よりも自分の在り方を許す。

感情は、水のように下に流れていくそうだ。

私がこれまでの人生で受け止めてきた人の感情と、人が受け止めたであろう自分の感情を思い出す。

 

私宛かどうかもわからないロマンチックな音楽を、自分のためかのように耳に当てて、冷たい風を受けた。

昼に音楽を聴くと、そのあいだ懐かしい世界に戻れるように感じる。

昼のあいだ、なかなか違う世界観に私は身を置いている。

喜劇にならないものだろうか、とそのセンスのない自分に同情する。

地面には草と落ちた桜の花びら、そこにおどる木漏れ日を見つめ、枝といっしょにしなやかに揺れ動きたいと思った。

美しく書いたところで、私の心が美しいわけではない。

 

自分の好きな人が、この歌のような言葉を、その人の言葉で伝えてくれたら素敵だなと思った。

桜の木の下で、夢見る夢子になったようで本当に気持ちが悪いと耳元でツッコミ役は一応起きている。

現実にはよくある指南書の、脈なしの項目にすべて当てはまる。

ツッコミ役はいつも少女漫画脳を退治する。

しかし、何事もバランスが必要だ。

うっとりしてもらうためには、私にもうっとりする能力が不可欠ではないか。

心が繋がっているのかな、と思うような出来事は、実は私の人生の進展をじゃましているのかもしれないという側面を見る。

どちらにせよ、必要な人のところへ行けるのならかまわない。

 

報われないことを数えても、ときめきは訪れない。

私が日々積み重ねるちいさな仕事や学びが、見えない人は多いだろう。

私が長らくやってきたことを、簡単に済ませられる人もいるだろう。

そうやって、いとも簡単に踏みにじられてしまうことを、それでもやっているとほんの時々それを見つけてくれる人がいる。

私を意識的に救おうと強弱の構図をつくる人よりも、そういう何気ない言葉に救われるものだ。

散々思い悩んで、同時進行で、最近私は世の中が明るくなったらどこにデートに行こうか考えている。

相手はいない。

その頃には誰かが誘ってくれる予定だ。

誰か。

よろしく。(※既婚者以外)

 

 

f:id:miss_quiet:20200414215746j:image

 

 

f:id:miss_quiet:20200414220232j:image