音楽と言葉とまぶたの裏の世界 

Karin's Wonderlandのブログ

自分は何を選ぶか

ラジオのチャンネルには無頓着ですが、どうやら私はアルファステーションというのを聴いているようです。

日曜日、遅く目覚めて、気が向くと私は持っていないテレビの代わりにラジオをつけます。

最近聴いていて心地が良かったのは、前田彩名さんの『α-DAYLIGHT CALL』と、堀込康行さんの『RADIO CHEERS!!』です。

あ、土岐麻子さんと歌ってた方かな?と思ったら、そうでした。

こんなところで、何だか嬉しい。(出逢ったみたいな言い方)

土岐麻子さんのカバーしている『Waltz for Debby』が好きでアルバムを持っていて、その一曲に、堀込康行さんと土岐麻子さんがお二人で歌っている曲があります。

なんか、声をすごく覚えていました。

心地いい、という言葉がとても当てはまります。

 

昨日は雨で寒くて、陰鬱な『1984年』にいるような気持ちでした。

今日はこの街は晴れ。

シンプルだけど、それだけで少し励まされます。

換気をして、一週間分の家事をしました。

 

私は昨日で2月のライブをやり切りました。

昨日、私の心は波乱に襲われていました。

インターネットのいろいろな情報と、身近な人の意見や気持ち、開けばタイムラインに流れて込んできてしまいます。

そんなことができるなら、どれも汲み取って静まりたかった。

でも私はとても翻弄されました。

私自身がとても怖かったから、ライブに出演するかどうか、当日のお昼まで(告知した後も)悩みました。

仕事には行くのに、ライブはやめるの?との疑問も。

主催者とは、事態の捉え方の深刻さに、温度差がありました。

歌い手としてどうあるべきか、わかりませんでした。

正しくありたくて。

でも、何が正しい判断なのか、正しい姿勢なのかわからなくて。

ただ、正直に私は怖くて。

どこまでが自分の判断で、どこまでが人目を気にしたり責任感から来るものかわかりませんが、最終的に私は出演を選びました。

 

こんなときに限って、いつもとても朗らかな友人が、お子さんと旦那さんと来てくれて、ようやく来られた!と、いつもの朗らかさで喜んでくれたのです。

友人の顔を見たとき、強張っていたからだが、表情がやっとほぐれて、歌うことができました。

いてくれてありがとう、と心から思いました。

 

辛いけれど、逆に言えば私は自分で判断していいと思ったから真剣に考えることができました。

いざというとき、自分は何を選ぶのか。

 

何かを選べば、何かを選ばないということなります。

誰かには不都合な状況を生み出すかもしれないということです。

 

今週は、新型肺炎のことに関わらず、私は自分の嫌な面をいくつか見ることになりました。

ブログではいつも前向きでいようと心がけているけれど、それは言葉でしかありません。

いざというとき、それは例えば仕事で忙しいという日常レベルのことであっても、自分の嫌な面、他者の嫌な面というのが見えることがあります。

 

今週はいつもより、ああ、私にはこんな嫌なところがあるんだな、と妙に腑に落ちるように思いました。

自分の嫌な面もちゃんと受け止められたら、他者のことも許せるのかな。

私は今はまだどちらも、ああ嫌だな、と感じます。

自分も他者も本当に許すのは難しいし、誰もが自分はまともだと、翻弄されていないと思いたいものじゃないでしょうか。

 

これは昔めくった何かの本の言葉を思い出してのことなんですが、忘れがちだけど、誰も「行く末」を知らないのだな、と当たり前のことを思います。

ニュースは確かな未来をアナウンスするものじゃない。

賢明な選択が何かも、そのときを迎えている私たちにはわからないこともあります。

わかるとすれば、それは歴史の教科書を読んだときくらい。

 

いざというとき、私は歌うよりも、何よりも、家族のそばにいたいな。

どんなときもステージにいることが、私の望みじゃないかもしれない。

 

 

ウイルスそのものに、色んな情報や意見や気持ちに翻弄されていたとき、ふと目に留まった記事をご紹介しておきます。

自分や他者の不安や恐怖の扱い方について書かれています。

自分が怖いことを認めると、認めてもらえると、少し落ち着くかもしれないです。

また、怖がる人たちを受け入れられないという方にも、少し考えてみてもらえたらいいな、という気持ちです。

 

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ラジオからはスティービーワンダー。

懐かしく、明るい歌。

さて、今夜はちゃんとしたご飯を作ります。