音楽と言葉とまぶたの裏の世界 

Karin's Wonderlandのブログ

「愛のある時間」というギフト

2020年1月29日(水)の日記

 

今夜は今年初めてのライブの夜でした。

結論から言うと、今夜は愛のある時間を過ごしました。

今、とても幸せ。

余韻に漂っています。

とてもよく疲れました。

 

とても久しぶりに、やり切った、ああ楽しかった、というステージを演じられました。

それは、私の気持ちでそう感じるほかに、周りの人たち(見ず知らずのお客さんではないけれど)やお店の方がかけてくれた言葉で、今夜はとても良かった、と感じることができたのです。

 

今日は午後お休みをとって、スタジオ練習をしてからライブハウスに向かいました。

その足取りは決して軽やかではありませんでした。

どうしたものか、と。

ここのところ、ライブが楽しいどころか不安で仕方がなかったのです。

自分の技術面にばかり意識が向いていて、大きな進歩のない自分に劣等感と、聴きにきてくれる人やお店の方への申し訳なさを感じていました。

そして、それは「私は人に受け入れられない」という、人としてとても悲しい気持ちに陥る原因になっていました。(実際に受け入れてもらえなかったわけではないです。思う出来栄えではなかった、自分が楽しめなかった、というところから、相手ではなく自分側で閉じられてしまう心の扉があります)

ライブハウスの扉を開けるのさえ怖くなっていたのです。

 

リハーサルで自分と向き合っているのがバレバレだった私に、音楽の先輩はいろいろ助言をしてくれました。

それがビターでスウィートないいスパイスとなり、エネルギーを呼び起こしてくれたのです。

扉を開けた瞬間からがちがちだったし、出番まで席に着いているときもがちがちでした。

そんな私をまた見られちゃった!!!涙

だから、やってやるんだと今夜は思えたのです。

 

もちろん、いきなり歌やピアノがうまくなるわけじゃないのです。

意識が自分に向いていたか、外に向いていたかの問題です。

今夜はとても前向きで、そこにいる人たちに届けたいのだ、という気持ちがちゃんとあるのを、確かに感じました。

だからといって、見ず知らずのお客さんたちの心の内を知りません。

なんとも思わなかったのが大半かもしれないけど。

身近な人たちに、届きました。

私は今夜はそれが心の底から嬉しかったのです。

 

このお店での、このイベントへの初めての参加でした。

だからこそ喋れたこと、許されたこと、があるに違いありません。

それを超えていく、二回目からが大変だと思う。

またちょっと臆病になります。

私は、ステージがいつも怖いです。

 

先行きは常に謎に満ちています。

物語で例えるなら、周囲に影響を受けまくる主人公を卒業して、主人公に影響を与える実力ある脇役になれる日が来るのだろうか。

そんなふうに思います。

 

 

今日と言う日は、このまま私がダメにならないように、と与えられたギフトの一日だ。

私はそう思いました。

「愛のある時間」

こういった日をそう呼びたいです。

私がいつも過ごしたいと、長い長い一人の時間に夢見ている時間を今夜は過ごしました。

周りの人たちが自分を受け入れてくれていました。

年上の方が多かったからか家族みたいに思ってしまいました。

ステージという怖いものを受け入れて乗り越えたら、孤独といういつもの怖いものは、今夜はありませんでした。

だから、翌朝に照れくさいラブレターのように感じないかを少し心配はするものの、今夜のうちにこれを書き、朝にお届けいたします。

あたたかいうちにしか思い当たらない言葉があると、明日にはもう手遅れなので。

 

これは夢見ていた時間だった、と帰り道にずっと思い続けました。

今日がなかったら、私はもうライブもしたくなかったかもしれない。

次はまた、わからないけど。

だから何かを頑張る理由が生まれます。

届け!!という私じゃない誰かへの思いを絶対に忘れたくない。

そう思いました。