音楽と言葉とまぶたの裏の世界 

Karin's Wonderlandのブログ

諸行無常

晦日ですね。

毎年あっという間。

 

冬至を過ぎると、まだこれから寒くなるのに、少しまた光の差す方に、目の前の道があがってゆく感覚がします。

昔イギリスに行って以来、冬に一向に晴れないじれったい雲が心にまでのしかかり、日本に帰ってもSAD(季節性感情障害)なのでは?!と思う機会もありましたが、最近はまた大丈夫。

案外季節はあっという間で、春も夏も短いけれど、つまりまた巡ってくるということだから。

日の光って、それくらい大きく影響していますよね。

月の満ち欠けや日の光、いろんなものに、自覚の有無は別としても影響を受ける身体。

人間も自然の一部なんだな、とそんな時に思います。

 

冬休み一日目の朝、私は風邪を引いていて、更には初めての腰痛の痛みに驚きつつ、ぎこちない動作で家事をしていました。

いつものように、まさに自分のことでいっぱいいっぱいになっていたその朝、ふと開いたスマートフォンに、前日に実家の猫が亡くなった連絡がありました。

母の毎日のお世話があり、寿命まで長生きしました。

だから、それが本当に悲しいことなのかどうかはわかりません。

むしろ、愛されて無事に生き抜いてくれてよかった、と思いました。

でもやっぱり、もういないんだな、と、それを遠く離れてうまく実感できないことも含めて、悲しみを感じました。

いつもなら、私の悲しみなんてせいぜい自分の不出来など、対処のしようがある悲しみです。

でも、誰かがいなくなる悲しみは、どうにもしようがない。

それによって取りかかるもの(解決すべきもの)が何も見当たりませんでした。

何も掴めないのだな、と思いました。

たくさん、姿を思い出しました。

 

今朝、夢を見ました。

亡くなった猫が部屋の隅の壁から這い出てきて、私の背中のあたりに触れるように寝そべりました。

背中には、その感触がしました。

夢かもしれません。

でも、会いに来てくれたのかな?と思いました。

いる、いない、どっちだろう。

身体の機能は停止して、もう形はなくなってしまったけれど。

まだ、続いているのかな。

私にはわかりません。

でも、今朝は懐かしい感触がしました。

 

動物と暮らすって、すごいですね。

自分とは言葉の通じない、種類の違う私たちは、何故か意思の疎通も信頼関係を築くこともできる。

それで、家族でいてくれました。

実家は猫のいない家になりました。

やっぱりまだ、とても不思議です。

でももう、その時間が通り過ぎてしまった、ということは確かです。

 

猫が、ベランダで気持ち良さそうに日向ぼっこをしている、若い頃の写真があります。

悲しいことも、痛みも、喜びも、お日さまを浴びて気持ちがよいと感じることも、すべてはこの世に生まれた身体で経験すること。

お日さまの光が気持ちがよいことを、その恵みを受けられることを、忘れずに、感じられますように。