自作自演の『練習曲』

9月はピアノを弾きませんでした。

 

9月のある休日の朝に、ラジオをつけたらクラシックが流れていました。(我が部屋にはテレビがない)

いつもなら気に留めないけれど、その朝はクラシックをとても美しいと感じました。

何故かはわかりません。

窓を開けたら風が気持ちよくて、気温がちょうどよかったからかもしれません。

お天気は忘れてしまいました。

お休みの日なら、私は雨でも晴れでも好きなのです。

曇りはいまいちですが。

ラジオをつけたまま、脳が一番はかどる間に、私は家事をしました。(もったいないことです。しかしながら、休日の朝の家事はとても気持ちがいいのです。)

 

この間の土曜日は、岸田繁さんの「交響曲 第一番・第二番 連続演奏会」を聴きに行ってきました。

くるりのロックミュージックが、岸田繁さんのつくる音楽が好きなので、聴いてみたかったのです。

感想は知識を交えた言葉にはならないけれど、何かを感じていました。

それが何かは、よくわかりませんが。

演奏のあと、拍手の音のどこかから、「ブラボー!」と誰かが言ったように聞こえました。

私にはその「ブラボー!」は、本物だと思ったのです。

それに値する本物に対する、本物の「ブラボー!」

あぁ、と思いました。

(この「あぁ、」は、現代文のテストみたい。正解は誰かが決めるかもしれません。)

 

それから、スマートフォンクラシック音楽をダウンロードしました。

ピアノ演奏の。

私は、バッハのカンタータ147番『心と口と行いと生活で』という曲が好きです。

それは昔、私が出演させてもらったお芝居のチラシの絵を描いた時に(裏方もやるものなのです)、作者(演出家)の方に、作品のイメージに合う音楽はなんですか、と聞いたときに挙がった曲でした。

その時に聴いたピアノ演奏のこの曲が、とても素晴らしかったのです。

それは絵を仕上げるためだけではなく、物語に入り込んでいくのにいくらかの手掛かりになるような気がしました。(結局、私の演技はあまり伸びませんでしたが。心は奥深く入り込んでいました。演技は、感情的になってもできないものです。誤解されやすいですが。パフォーマンスすることは、感情の発散ではないのです。)

 

私はピアノを弾きたいけれど、いつまで経ってもピアノの音楽をあまり聴きませんでした。

何かが違ったのです。

でも。

指がどう運ばれているかなんてまだわからないけど、身体が音に傾き始めました。

 

でもどこか、音楽を聴いているというより、音色を通して、心と身体を浄化しているみたいです。

音の粒が、ぽろぽろと、光や水のように感じます。

きっと、でたらめみたいなことですね、こんな話は。

でも、そういう”感じ”です。

それは、または、ずっと静かに待っていたところに、何かが戻ってきたようでもあります。

これもまた静かに。

10月になって、ピアノを弾きました。

 

私が自分の曲を弾くと、それは「練習曲」のように聞こえます。

先生が教えてくれたことを、そのまま弾いているからです。(それ以上のことをしていないうえに、実際にはクオリティはそれ以下だ)

どんなに簡単な演奏であっても、私は自分の曲を、自分の曲にしなければなりません。

もう一年も、自作自演の「練習曲」を続けてしまいました。

私はまだ、諦めるわけにはいかないのです。

 

 あぁ。