音楽と言葉とまぶたの裏の世界 

Karin's Wonderlandのブログ

東京日誌 ー道端での出逢いー

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夜の浅草は全体が花やしきであるかのようにどこか不気味な色づかいと雰囲気が漂う。街の中心が大規模な見世物小屋のように思う。

 

 

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幼馴染みと再会した帰り道、私はとても晴れやかな気持ちで夜の街を散歩していた。そして散歩していると少なからずぐっとくるポイントに私は巡り会う。構図について厳密に考えていないけれど、それは感覚的であれど“計算”なんだよと絵を描く友人が以前言った。

 

その夜道も私は感覚的な計算を瞬時に行いながら、スマートフォンに“世界の一角”を溜め込んでいた。コレクションのように、私の画像ファイルに浅草が並べられてゆく。

 

 

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その時はちょうど、伝法院通りの入り口の居酒屋にぶら下がる、提灯とその向こうにそびえるスカイツリーを、一枚におさめようとスマートフォンを掲げている時だった。その時にその人と知り合った。

 

木屋町では誰からもお声がかからないけれども、浅草の道端で知らない人に話しかけられるとは思わなかった。

けれども共通点があって、後日約束をして会うことになった。

 

 

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再会して話してみてわかったことは、その人はエリートだった。まったく釣り合っていない組み合わせの人と知り合って、どうしよう、と思ったが、とても素敵なカフェで、私の知らない分野の話を聞いた。

その人が庭の景観に重要な役割を果たす立派なお花で、私はそこらへんの雑草のように思えた。それから、なんて危なっかしい橋を渡っているんだろう私は、ときちんとした人を前にして切実に思った。

私も仕事や生活において、真心を持ってそこそこきちんとしているが、そういう意味ではない。

きちんとした人に自分の話をするのは、人生のどの時点の話にせよ、まあちょっとは恥ずかしかったけど、ここで恥ずかしがってなんになるの。私たちはどんな関係性でもないから、自分を綺麗に見せる必要もないと思った瞬間から、私は楽になった。

毎日を精一杯生きていることは、きっとその人も私も変わらない。私は偶然にも、自分とはまったく違う生き方をしている人に出会えたことが嬉しかった。

 

その人は頭が良く、恐らく努力家で、何度も達成をしたことがある人だった。

私は頑張っているけど何事も今ひとつで、人と同じことができなくて、何度もリタイアしてきた人生だと思った。ただし道の途中であり、結局は諦めていないが。

どちらにせよ、「先のわからないことに心を燃やしている時が幸せだ」という意見は一致した。

もしかしたら私があまり退屈しないのは、「人と同じことをまともにできない」というところにポイントがありそうだとその夜私は思った。いや、わかっていたことを再確認したまでだ。すごく別の角度から。

 

閉店が迫る店を出て、コンビニでお酒を買い、隅田川沿いにしばらく座り、それから浅草寺の周辺を一周するように歩いて、日付が変わった頃に別れた。

ずいぶんと長いこと話しをした。また会うかもしれないし、二度と会わないかもしれない人と。

 

トトロみたいだなと思った。いつでも出逢えるわけじゃない。私はこう思った。あの晩私の心は、何年ぶりかに再会した幼馴染みと過ごしたことで、扉が開かれていたのかもしれない。そこにやってきてくれた人だったのかも。と。

 

その夜も、次の日のことを考えていた。翌日は出発の日だった。偶然出逢って、約束をして、不思議なご縁に感謝をした。

心残りがあるとすれば、私は結局、提灯とスカイツリーを写真に撮り損ねた。それはどんな風におさめることができたか、見てみたかった。

でもそんなことはいいや。覚えているから。

 

どうもありがとう。どうぞお元気で。

 

 

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