音楽と言葉とまぶたの裏の世界 

Karin's Wonderlandのブログ

再び、京都

9月4日(水)

 

東京から帰ってきていつもの一日を過ごしました。

忘れないように、何度もこの5日間の好きな場面を思い出しました。

 

4日間泊まったホテルの洗面所の使い勝手とか、シーツの匂いとか、ベッドのバネの心地とか、照明の具合とか、朝食の風景とか、支配人らしき人の優しげな顔とか、浅草の商店街の一本一本や、歩道の汚れ具合とか、浅草寺の大きさとか、街のにおいとか、街の密度とか、父や母の声とか、となりで過ごした感じとか、一緒に出かけた先々で見たり触ったりした景色の、色々、色々。

 

夢ではなかったけれど、その5日間は過ぎてしまったから、私はまた京都にいます。

昨晩はたくさん泣いたけど、幸いにも疲れていてぐっすりと眠れました。

今日大家さんにお土産を渡しにいくと、複雑なことは聞かずに「人生色々ね」と、いつものように、乗り越えてきた朗らかさで笑ってくれました。

何も言わなくとも、大家さんはいつも励ますように私と話します。

お土産をありがとうと、心から伝えてくださいました。

 

それからアパートの玄関を開けると、たまたま下の部屋のおじさんと出くわして、「なんか久しぶりだなぁ、しばらくいなかったよね?」と話しかけてくれました。

ここが京都ゆえに、それが「いつもうるさい」って意味じゃないことを祈りますけれども、まあ人の心はそこまでわかりませんから、言葉のまま受け取って、気にかけてくれたことに感謝をしました。

気がつけば、親切な人がいつも周りにいると感じることができます。

 

今日一日、私は京都での日常を過ごしました。

子供の頃私は、ファンタジーが好きでした。

現実世界と、現実世界から見てもう一つの存在となる不思議な世界が出てくる物語が好きでした。

つまり私は、子供の頃に描いた夢をいま、この身体で生きているのかな、と不意に思い至りました。

たいていその繋ぎ目の役割は森や窓やクローゼットが果たしているけど、私のは新幹線や夜行バス。

ま、夢はないけれど、私は夢心地です。

辛いけど、冒険には痛みが伴うものではないでしょうか。

冒険を知らず穏やかに過ごすマジックのない物語では、私は物足りなかった。

じゃあしょうがない!

 

魔法なんかなくたって、私には十分、この毎日が不思議です。

魔法なんかないかもしれないけど、たまに思い描いたことを自分が体現しているとき、それは魔法のようだなと思います。

何も私の手には入らないし、何も逃す必要もないのです。

京都の景色は変わらないけれど、私のフィルターが入れ替わったように感じます。

日常を繰り返せば、忘れてしまうのかもしれません。

一日前が、明日には二日前になる。

そんな寂しさを、ずっと抱えていくのですね。