夏の虜

2019年8月13日

 

毎年私は「夏らしい一日」が欲しいと強く思います。

女同士で丸一日遊ぶのは、性格的にあまりしないことですが、一人でなら、思い立てばどこへだって(ほんとうに?)行けます。

ただ計画性がないために、起きた時の決断力に左右されるのです。

そしてイメージには従って動いてみるのです、例えばこんな景色を見て、そこでのんびりと過ごしたい、だとかの。

 

 

川の流れと逆を行く山道

貴船神社に向かう途中

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たくさんの好きな音を聴きました。

枝葉が風に揺れる音 蝉の声 風鈴の音 水が下に落ちる音 流れる音

たくさんの好きなものを見ました。

木の葉が光を透かして輝く姿 木漏れ日の揺らめき 

石段に落ちた光と影のコントラスト 水が泡を立てる姿 

山と 鋭く伸びる木々と 青空と はっきりと移動していく雲

神社やお寺の朱色

 

続いて鞍馬にやってきました

歩いていけたところを、電車に乗って遠回りをしました

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山道を歩きながら、いつもの街を想いました。

後にした自分の部屋を想いました。

私がいつも日常だと思っている風景は、最初からそうではなかったのです。

今ここを歩いているように、京都は知らない街でした(この山道も京都なんですが)。

二十歳の頃の初めての一人旅が、この街でした。

今好奇心に任せてずんずんと歩いているこの道も、誰かの毎日なんだ!

それはいくらか、私にとってはいつも感慨深いものなのです。

 

たくさん歩いて、早く帰りたいような、もっと奥へ進みたいような、疲労感と好奇心が

織り交ざる頃。

時が経てばまあ、夕方か夜くらいには、私はまた自分の狭い部屋で日常を送るのだなと思いました。

 

見たかったもの、聴きたかったもの全部、見て聴いてきたよ、と、探索のあとは、一人充実感に浸ります。

”そこ”にすべてありました。

夏をいつも追いかけている気がします。

毎年きっとそうです。

すぐにいなくなるからでしょう。

この一日に全身で感じたもの、うだる暑さもすべて、「私はあなたの虜よ」と、つかまえておきたい夏。

 

また一日が暮れました。