音楽と言葉とまぶたの裏の世界 

Karin's Wonderlandのブログ

父との三日間Ⅲ 昼下がり 2019.4.20

 最終日の朝、目覚めると頭痛がした。朝ごはんを食べ、支度をしようと思ったが、動けばさらに悪くなるとわかるので、父に連絡をした。父はお昼ごはんだけ一緒に食べようと言ってくれたので、残念だけど、薬を飲んでもう一眠りすることにした。

 よいお天気で、とても気持ちのよい二度寝だったが、夢うつつで不意に悲しくなった。本当なら、一緒に過ごすはずだった時間帯が来ても私は一人で自分の部屋にいたから。いつもならこんなふうに過ごしていても、ちょっともったいないくらいにしか思わないけれど、年に何日会えるかもわからない家族が来ているのに、自分の部屋にいることが悔しく思えた。一昨日と、昨日と、疲れたってちゃんと言えばよかった。

 いつもの生活の中に、今日は父がいるのだ。すぐそこに。でも私は動けない。悲しくて涙が出たけど、とにかく横になった。

 多分、父は予定が変わったことをそんなには気にしていないだろうと思う。父の気にしない、気にならない、又は気づかない”スキル”。それは、もしかしたら家庭の中ではすれ違う原因にもなる。でも、社会で能率的に動いていく時には多分とても役に立つ。私は自分がオフィスで働くようになり、いくらか父の社会での立場をイメージできるようになった気がする。今までは、そんなふうな角度からは見えなかった。知らなかった。

 人の感情の機微に気を遣い過ぎても、父のようには働けないのかもしれない。母をイライラさせるかもしれないが、父が考えていることやしてくれていることが少しわかった。父親と母親と、それぞれの思い方があるのだろう。母は私の心に共感をしてくれるし、父は現実的な問題を解決しようとしてくれる。まあ、私はお父さんの奥さんじゃないから、お母さんのイライラの全部はわからない。娘も父と母を見ている。

 前屈とダウンロックが気持ちよくできるまでストレッチをして、支度をした。

 お昼ごはんは尾張屋本店でおそばを食べるの。

 

f:id:miss_quiet:20190421122328j:plain

 

 宝来そば。5段あって、お好みの具を入れる!美味しかった。

 

 きらきらと晴れた土曜日の午後だった。ああ、一緒に鉄道博物館に行く予定だったけど、父は一人で徒歩でいろいろ巡ったらしい。ぽかんと抜けてしまった、あるはずだった時間が、ないことが寂しい。でも、仕方ない。

 京都駅はどこも混んでいて、一息つくはずだったけどどこにも入れなかった。ベンチに座って少し話をした。この、待ち時間というのがとても苦手だ。そわそわとする。見送った後のことを考えると、少し怖い。また一人になるんだな。

 だけど、お寺の住職がテレビで話してるのを聞いた。「自立することは、親以外に依存先をつくること。依存先が多様化すること」と。それは、私が実感してきたことだ。一人暮らしをしてみたら、寂しくも、一人で生きていけないことがわかるのだ。私はもう少し、人に頼ることが上手になりたい。確かに、助けられてばかりいるかもしれない。それでも自分が心を委ねるということを、多分まだよく知らない。それができたら、もっと楽になるかもしれない。そういうことを、お父さんは考えないでも人生が進んできたに違いない。

 そこで委縮はしなくてもよさそうだ。役割があるんだ。お父さんとお母さんがいるように。私にも、この個体の役割がありそうだ。

 そういう話は父にはせず、父がしてくれた物理的な、現実的な話に耳を傾けた。大切なことだ。教えてくれてありがとう。

 

 父は夕方の新幹線に乗った。私は新幹線が見えなくなるまで見送った。いい大人が一人で泣いているのはなかなか恥ずかしいものだが、いつもこうなってしまう。周囲の方々、申し訳ないね。

 普段あまりわからないけど、照れくさいとか素直になれないという感覚はこれか、と何だかよくわかって納得をした。それでもちゃんと笑顔で手を振った。人生では、別れ際が肝心だから。