音楽と言葉とまぶたの裏の世界 

Karin's Wonderlandのブログ

父との三日間Ⅰ ミッドナイト念仏in御忌 2019.4.18

 夕風の吹く祇園は西日で眩しくて、いろんな国の人たちで賑わっていた。こうなったらもう、テーマパークの中みたいで、街だってなんだって「つくりもの」には違いないけど、日常と地続きのような気にはならなかった。

 

 

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 父が2年ぶりに京都にやってきた。この夜は、父と、初めて会う父の同級生と食事をするという、私にとっては心休まらないシチュエーションに挑んだ。それが祇園広東料理屋だった。

 私は仕事のため後から合流し、ご挨拶をし席に着いた。自己紹介も兼ねた会話をたまに聞かれればはさみつつ、もう既に盛り上がっている皆さんの会話に耳を傾けた。「同級生」がいるって羨ましいなと、皆さんの思い出話を聴きながら、密かに思った。「俺たち私たち」という感覚を、迷いなく、疑いなく持っている朗らかさがいい。そうやって、ある時期や時代など、誰かと分け合えるものを人々が語り合っている時に、私の心はすっと貝殻の中に引っ込む。しかしながら、私が完全に閉じこもらないのは、好奇心によってその場から離れられないためだ。今は、私も「ここにいる」と思うと、少なからずそれが希望になる。参加すればいいのだ。

 さてそのおかげで、その晩もさらに夜の深いところへと踏み込むこととなった。知恩院の「ミッドナイト念仏in御忌」に参加したのだ。私は存在を知ってはいたけど初参加で、同級生のご夫妻はもう何度も経験済み、詳しいものだった。

  

 

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 22時も回る頃から30分ほど行列に並び、三門の楼上へと急な階段をのぼって入場した。なかなか、ご年配の方には無理のある急な階段で、年齢関係なく気をつけないと危ない作りになっていた。みんな一人ひとり、さすがに慎重だった。

 入場すると、薄暗い中で大勢の人が木魚を打っていた。普段見ない光景には間違いない。私たち一行も空いている席に着き、既にあるリズムに加わった。いろんな人がいた。外国の人たちもちらほらといる。木魚を軽快に打った。打って打って、何分も経っていくが、終わりはない。

 いつの間にか、時間はどこかに消えてしまった。思考ははっきりとしていた。私はマインドフルネスをすすめられたこともあり、残念ながらいつも煩悩にまみれている。木魚を叩きながら、せっかくだからと様々な考え事を暇つぶしのようにしていた。部屋の薄暗さや、壁や天井の色彩も気に入って、ついぐるぐると見渡してしまった。

 見上げると、龍がいたのだ!おお!私は嵐山・天龍寺雲龍図が大好きだった。その迫力には負けるけれども、間違いなく龍!それに天女らしき優雅な人たちも浮遊している。ああ、そこは天界なのだろうか。

 激しい音で溢れかえる空間。リズムはいつも踊りを生み出す。単調な木魚の音も、時折ぴったりとタイミングが合い、またずれる、という些細なことを繰り返していた。仏様が踊り出しそうな気がした。踊り出したくならない?このリズムを聴いていたら。トランス状態に、なってみたい。そうやって踊り、歌い、奏でてみたい。龍が3Dになって降りてきそうな気がした。そうなったらいいなと思った。

 いつか見たアフリカンダンスを思い出した。身体が止まらないくらいに、ふり乱れてみたくなる。私は恥じらいが多く、それには程遠い。

 当たり前だけれども、お寺も龍も人がつくったものだ。ただそれだけのことが、あはは、と嬉しかった。人間ってどうしたって何かつくりたいのだ。想像力だってある。始まりは何だっただろう。生命を守るため、祈るため、今より危険に晒されて、切実だったかもしれないが。この夜、私には仏様がミッキーマウスに見えた。三門がワールドバザールに見えた。ごめんなさい。昔の人々は、ここに来るのが楽しかったかな?こんなに立派な建物は、私にはエンターテイメントだ。でも、私には「体験」であっても、お坊さんには日常であるように、それは日常と地続きのものであっただろうか。

 

 何分経っただろうか。父の同級生が声をかけてくれたから、私はエンドレスから抜けることができた。疲れていなければ、もっといたかったかも。でも、朝から働いた後で、疲れたという意識を持たないのは無理だった。

  私たちはそれぞれの宿に帰ることにした。ご夫妻は、翌朝早くにまたお参りに来るそうだ。三条大橋まで来ると、「生活圏内」という安心感が訪れた。それはかつて、舞浜駅に戻る時の感覚に似ていた。でも、あの頃のようには、寂しくはなかった。

 

 

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 私は、とにかく倒れ込みたかった。亡くなった父方の祖父がよく言っていた、「バタンキュー」という言葉が繰り返し頭の中に流れた。気分は「バタンキュー」だった。

 

 そう願ってさらに30分以上あと、自転車でようやく家に着くと、シャワーも浴びずそのまま眠った。

 

知恩院

ミッドナイト念仏 in 御忌(ミッドナイトねんぶつ いん ぎょき)|浄土宗総本山 知恩院